セントロイドMDによる量子多分子系の半古典ダイナミクス

――液体水素の集団励起の予言とボーズ・フェルミ統計への方法の拡張






                                               奈良女子大学理学部化学科 衣 川 健 一
 

Keywords: 径路積分、セントロイド分子動力学、液体水素、集団励起、ボーズ統計、フェルミ統計
 
 

緒言 量子多体系ダイナミクスの実用的な計算法を開発すること、またそれを用いて多分子系としての物質の量子統計力学的な物性・現象を解明することは、現在の化学・物質科学の重要な課題である。われわれは、径路積分セントロイド分子動力学(セントロイドMDまたはCMD)法による半古典ダイナミクスについて、(1)実在系への適用(2)方法の拡張、の2つの側面から研究を行っている。本稿では、

T. 筆者が1998年に液体パラ水素のCMDから予言した集団励起の様相[1]が、その後、1999−2001年の欧州における中性子散乱実験[2-3]によって観測・確認されたことについて述べる。さらに、

U. TのCMDはボルツマン統計に従う従来からのCMDであるが、われわれが既に1999年に考案したボーズ統計・フェルミ統計のためのCMD[4]に対して、最近量子力学的演算子を用いた基礎づけ(定式化)を行った[5]ので、その概略について述べたい。

CMDはその名称の通り、一種の半古典近似に基づくが、温度の定義されうる多自由度の系(N〜10-10)に対して実際容易にその実時間ダイナミクスが計算できる点が利点である。またその理論的基礎に関しては既に、CMD近似で計算されるセントロイドの位置または運動量の実時間相関関数が、位置または運動量演算子のカノニカル相関関数(久保変換相関関数)

の近似になっていることが明瞭に示されている[6]。その結果、線形応答理論によって観測量としての実時間相関関数が計算できる。また、絶対零度の極限での最小エネルギー波束のダイナミクスとの対応が示されている[7]。従って、セントロイド近似の成り立つ(すなわち、個々の粒子の虚時間経路が空間的に局在化している)状況下では、その有効性には疑問の余地はない。また熱力学量や分布関数のような静的な物性に関しても、CMDではそのアルゴリズムの中で同時に計算される(CMDは、虚時間径路のサンプリングとして径路積分Monte Carlo法または径路積分MD法を内包している)。

T. 液体パラ水素の集団励起の予言とその後の実験による観測[1,8] (衣川,F.J. Bermejo, C. Cabrillo, S.M. Bennington, B. Fak, M.T. Fernandez-Diaz, P. Verkerk, J. Dawidowski, and R. Fernandez-Perea)

【概要】 液体パラ水素は代表的な量子液体で、水素分子のde Broglie熱的波長は分子間距離の程度に及び、古典論による取り扱いができない。実験的にも、そのダイナミクスとりわけ、集団運動について満足な知見が得られてきたとは言い難かった。液体水素に対する筆者のCMD

(1998年)以前には、1973年にCarneiroらが行った中性子非弾性散乱実験[9]による動的構造因子のやや不満足なスペクトルが、この物質中の分子の集団運動に関する唯一の知見であった。筆者はCMDシミュレーションによって液体パラ水素の動的構造因子を計算したが[1]、その結果とこのCarneiroとの実験結果との比較は、後者のデータの不完全さゆえあまり興味をそそるものではなかったかもしれない。しかし、その後、欧州の中性子実験グループが相次いで、非弾性散乱実験の結果がこのCMDの計算結果と一致することを報告した。一つは、Bermejoらの干渉性非弾性散乱実験(1999年)[2]で、彼らは広範囲にわたってCMDの結果と少なくとも半定量的に一致する結果を報告した。もう一つは最近のZoppiらによる非干渉性散乱実験である[3]。両者ともに、古典極限によるMDでは実験結果を全く再現しないことが示されている。本研究では[8]、CMDの計算結果とBermejoらの中性子実験結果を比較した。併せて、古典極限でのMDシミュレーションから計算された動的構造因子との比較も行い、集団励起に対する量子効果を明らかにした。

【比較と考察】 水素分子間相互作用として仮定したSilvera-Goldmanポテンシャルに対するGrueneisenのパラメーター(非調和性パラメーター)は2.76であり、溶融塩一般に対する値よりも希ガスArに対する値に近い。従って、液体パラ水素ではこのパラメーターで見る限りは、希ガス液体同様、集団励起はあまり明瞭には現れないと予想される。

しかし、実験結果とCMDの計算結果からは、上述の予想とは異なり、明瞭な集団励起モード(縦音響様モード)が動的構造因子に現れた。一方、古典MDの結果では顕なピークが現れていない。これは、分子間相互作用の非調和性のために密度揺らぎの過減衰が起こったためであると考えられる(すなわち、Grueneisenのパラメーターによる予測が成立している)。非調和系ではCMDから計算される時間相関関数には低温ほど(すなわち古典極限からずれるほど)、明確な振動が現れるということを最近Berneらが述べているが[10]、本研究の比較はそれに対する初めての証拠を与えている。図は、動的構造因子のスペクトルを過減衰振動のスペクトル型にフィットさせた際のパラメーターをに対してプロットしたものである。右図のどのプロットでも中性子実験とCMDの結果は、特に低領域で驚くほど一致がよい。一方、古典MDでは実験結果と全く異なっており、集団励起に対する量子効果がわかる。


 

U. BoseおよびFermi統計に拡張したCMDの再定式化[5](衣川,長尾秀実(金沢大),太田浩二(産総研))

【概要】 T.の研究で使ったような従来型のCMDでは体系はボルツマン統計に従う。これは、セントロイドが区別のできる自由度として、半古典的な(粒子番号のインデックスの付いた)運動方程式に従って時間発展することとも整合性がとれている。本研究では、CMD法をボーズ・フェルミ統計に拡張して、”ボーズ・フェルミ系の半古典ダイナミクス”を計算(定義)する方法を開発し、かつ、その計算されたダイナミクスが物理的に有意なものであることを示すことを狙った。この方法の発展の延長線上で、超流動ヘリウム4やボーズ凝縮体のダイナミクスの理解が、Gross-Pitaevskii方程式とは違った分子論的な角度で可能になると期待している。ボーズ・フェルミ系の基本的な枠組みはわれわれが一昨年に示したが[4]、本研究では、このやや直感的であった導出を、射影演算子とJang-Vothの準密度演算子(1999年)[6]を使って、より量子力学的に近似のレベルが明確であるものに再構成した。その概略は以下に述べるが、その結果によると、このボーズ・フェルミ系のCMDで直接計算される、ボーズ・フェルミ系の「セントロイド」(これは従来型のボルツマン統計におけるセントロイドとは意味合いが異なる)の位置の実時間相関関数は、ボソン・フェルミオンから成る量子統計力学系の位置演算子のカノニカル相関関数の一定の近似になっていることが示された。従って、ボーズ・フェルミ系CMDから量子力学的観測量(実時間相関関数)が計算できることが解析的に示された。

【アイデア】 N個のボゾンまたはフェルミオンを対象にするが、そのままでは、粒子の区別が不能であることから逃れられないため、半古典ダイナミクスに帰着させることができない。そこで、何らかの形でボーズ・フェルミ系(原系)をボルツマン統計に従う系(粒子の区別のできる系)に対応させなければならない。そこで原系を射影演算子

を用いて同じくN体のボルツマン系にマップした。ここで、

は微小虚時間の相関振幅(またはN体自由粒子系の密度行列)と近似する。これによって、任意の演算子の(反)対称化された基底についての対角和(ボーズ・フェルミ系)が、非対称化基底での対角和に帰着される。非対称化基底は仮想的な「擬ボルツマン系」に対するものと考え、この擬ボルツマン系に対するCMDを考えることにする。この相関振幅の対数をもって新たなポテンシャルを定義する。擬ボルツマン系は、このを原系のハミルトニアン に加えたものをハミルトニアンとして持つ。セントロイドはこの擬ボルツマン系に対して各粒子の虚時間径路の平均位置として同様に定義される。しかし、これらのセントロイドがそのまま個々のボソン、フェルミオンを表現していると考えるのは適切ではない。Jang-Vothの準密度演算子の手法をこの擬ボルツマン系に対して適用して、形式的に擬ボルツマン系のCMD運動方程式を導出した。同時にこのセントロイドの位置の実時間相関関数が擬ボルツマン系の位置演算子のカノニカル相関関数の近似になっていることも解析に示された。さらにまた、そのカノニカル相関関数が、原系のカノニカル相関関数と近似的に等しいことがわかった。その結果、一定の近似で、擬ボルツマン系のCMDによって原系(ボーズ・フェルミ系)の位置演算子の量子統計力学的実時間相関関数(観測量)が計算されるスキームができあがった。

なお私信[11]によれば、ごく最近、別のグループもわれわれと同様の結論に至った。
 
 

文献
[1] K. Kinugawa, Chem. Phys. Lett. 292, 454 (1998).
[2] F.J. Bermejo et al., Phys. Rev. B 60 15154 (1999).
[3] M. Zoppi, D. Colognesi, and M. Celli, Europhys. Lett. 53, 34 (2001).
[4] K. Kinugawa, H. Nagao, and K. Ohta, Chem. Phys. Lett. 307, 187 (1999).
[5] ibid., J. Chem. Phys. 114, 1454 (2001).
[6] S. Jang and G.A. Voth, ibid. 111, 2357 (1999).
[7] (a) R. Ramirez, T. Lopez-Ciudad, and J.C. Noya, Phys. Rev. Lett. 81, 3303 (1998); (b) R. Ramirez and T. Lopez-Ciudad, J. Chem. Phys. 111, 3339 (1999).
[8] F.J. Bermejo, K. Kinugawa et al., Phys. Rev. Lett. 84, 5359 (2000).
[9] K. Carneiro et al. ibid. 30, 481 (1973).
[10] G. Krilov et al., J. Chem. Phys. 111, 9140 (1999).
[11] N.V. Blinov, P.-N. Roy, and G.A. Voth, private communication.
 
 

Semiclassical dynamics of quantum many-body molecular systems by path integral centroid molecular dynamics method ―― Prediction of collective excitation in liquid hydrogen and methodological extension of CMD to the Bose and Fermi statistics

Kenichi Kinugawa

Department of Chemistry, Faculty of Science, Nara Women’s University, Kitauoya-nishi,

Nara 630-8506 (e-mail: kinugawa@cc.nara-wu.ac.jp)

Keywords: path integral, centroid molecular dynamics, liquid hydrogen, Bose statistics, Fermi

statistics

It is an important subject to develop a computational method for real-time dynamics of quantum statistical systems and to apply it to the investigation of dynamical properties of real quantum materials. The semiclassical dynamics obtained from the numerical simulations based on the path integral centroid molecular dynamics (CMD) method is evidently good information of such quantum many-body molecular systems. The present report includes a couple of abstracts of our recent works concerned with (I) the CMD prediction of collective excitation in liquid para-hydrogen [1] prior to the experimental observation in 1999-2001 [2-3]; (II) the reformulation of the CMD extended to Bose-Einstein and Fermi-Dirac statistics by use of quantum-mechanical operator formalism [4,5].

(I) CMD-based prediction of collective excitation in liquid para-hydrogen and the recent observation by neutron experiments [6] (K.K., F.J. Bermejo et al.):

The origin of the well-defined collective excitations found in liquid para-hydrogen by recent experiments is investigated in comparison with the results of the path integral centroid molecular dynamics simulations. The renormalized dispersion frequencies, the damping constants, and the phase velocities observed in the neutron inelastic scattering experiments are in good agreement with those of the centroid molecular dynamics simulations. The persistence of their relatively long lifetimes down to microscopic scales is well accounted for by the centroid molecular dynamics simulations. In contrast, only overdamped excitations are found in calculations carried within the classical limit. This is a first confirmation of recent findings on the predictive capability of the centroid molecular dynamics of highly anharmonic systems. The results provide fully quantitative evidence of quantum effects on the dynamics of a simple liquid.

(II) Reformulation of CMD extended to Bose and Fermi statistics [5] (K.K., H. Nagao, and K. Ohta):

The presently proposed scheme, refined from our previous derivation of Bose/Fermi CMD [4], is aimed at the calculations of not the exact quantum-mechanical dynamics but the semiclassical dynamics under certain approximations. The formalism is based on the projection operator with which the Bose/Fermi system under consideration is mapped onto a particular type of pseudo-Boltzmann system. In such a pseudo-Boltzmann system (a virtual system) the correlation due to the Bose/Fermi statistics is introduced via an extra pseudopotential called permutation potential and its relevant operator. Using the present semiclassical formalism, the time correlation function of centroid position, which is evaluated from the CMD trajectories in the pseudo-Boltzmann system, is an approximation to the Kubo canonical correlation function of position operator of the exact quantum-statistical system composed of bosons or fermions. There is no such apparent relation between the momentum operator and the corresponding centroid.

References [1] K. Kinugawa, Chem. Phys. Lett. 292, 454 (1998). [2] F.J. Bermejo et al., Phys. Rev. B 60 15154 (1999). [3] M. Zoppi, D. Colognesi, and M. Celli, Europhys. Lett. 53, 34 (2001). [4] K. Kinugawa, H. Nagao, and K. Ohta, Chem. Phys. Lett. 307, 187 (1999). [5] ibid., J. Chem. Phys.114, 1454 (2001). [6] F.J. Bermejo, K. Kinugawa et al., Phys. Rev. Lett. 84, 5359 (2000).