卒業研究にあたって
 (2003.6月更新)


 研究分野は“理論物理化学”です。実験室実験をせずに、理論にもとづいたコンピューター・シミュレーション(Computer Simulation)を行います。卒業研究は分子集団(液体・固体・クラスター等)の古典力学に基づく分子動力学(Molecular Dynamics、略してMD)シミュレーションを行います。MDを道具にして、物質の性質や物理化学現象を調べてゆきます。物質の中の分子は古典力学の運動方程式に従って動くので、この方程式をコンピューターを使って解いてやれば、分子の運動を追跡することができます。分子の運動は実験では直接観察できないのですが、MDではあたかもそれを「見る」ことができます。 
 私たちの研究では“実験器具”のかわりに「コンピューター」を使いますが、研究室に入門する学生には、コンピューターについての使用経験や知識は全く問いません。コンピューターはやる気があれば誰でもすぐに使いこなせるようになります(コンピューターも所詮道具にすぎません)。「やってみよう!」という積極性こそが何よりも大切です。
 

 われわれの研究の特色:
  理論系ですので、実験をやりません。かわりに計算機実験(シミュレーション)をやります。シミュレーションは計算してはじめて体系の性質がわかる(やってみるまでわからない)ので、多少実験に似たところがあります。
 理論的な分野の研究なので、(1)まず、関連する理論(理屈)を勉強する必要があります。理屈がわからずにコンピューター操作に徹しても何も産まれません。大学生である以上、原理や理論の理解の上に立って研究しなければなりません。
 理論系といってもあくまで化学の分野の研究なので、(1)だけではなくて、(2)実際の物質の性質に関して実験から得られた結果や議論についてもよく勉強する必要があります。コンピューターの操作だけをして実験結果(すなわち物質の性質に関する実際の知見)に注意を払わない態度は自然科学の研究として許されません。実際の話とのつながりが最後には必要になってきます。
 また当然、(3)コンピューターの操作やプログラミングにも慣れる必要があります
 実験系の研究でも以上のような(1)〜(3)の勉強要素は必要なはずです。唯一実験系との違いは、(3)の操作(道具)が、フラスコではなくコンピューターであるということ、さらに(1)のウエイトが高いということです。
 基礎として、熱力学・量子力学・統計力学の物理化学の基礎の3つの柱が必要です。
 楽して卒業することばかり考えている学生は私の研究室のメンバーの資格がありません(ほかのどこの研究室でもそうであろうが)。1年間研究に情熱を捧げて集中できる学生にこそその資格があります。総て、研究者は自らの研究テーマや研究分野には人生をかけて取り組んでいるものなので、研究に関しては敏感な感受性を持っているものです。われわれが最も興味深い、最も美しいと思っている対象に対する不遜な、鈍感な態度は受け入れ難いものがあります。
 卒業研究生に私や先輩の研究の手伝いや丁稚奉公をさせることは全くありません。学生一人一人が個別のテーマに取り組みます。そのための研究環境も整備されています。

 将来の進路:
  よくある質問は、「そういう研究室に入るとどこへ就職できるか?」ということです。
 就職先は配属研究室や研究分野とは関係ありません。たかだか1年ぐらいの研究経験では当然分野に精通・熟達することはできません。当然、社会からも 「熟練した人・その道の人」とは見てくれません。もしその道の専門として(要するにそういう研究分野を修めた)ということを売りにするには、それなりの「熟練」を身につけなければなりません。どの化学の分野でもそうですが、 基本的に「博士号」をとるまでは専門家としては認知されないでしょう(しかし、博士号を取ったからといって必ず認められるわけでもない)。 現代の化学(に限らず科学技術)はそれほど高度なものになっているのです(例えばアトキンスで勉強する熱力学や統計力学が19世紀の学問であったことを思い起こしてください。それ以降現在に至るまでの科学の進歩があるわけです)。
  一方、元来、研究は「よい会社」に就職するためにするわけではありません(もし研究というものがそういうものなら、それほどつまらないことはない)。そもそも皆さんはもっと勉強がしたかったら、あえて理科系を選んで大学に入ったのではありませんか?研究は研究する人の好奇心の発露として行うもので、それ以外の不純な理由は結果的にその人を苦しめてしまうことになるかもしれません。
 研究の意義とは何か?その答は卒業研究を通じて皆さんが自分で見つけて欲しいのです。私個人の考えは一番下の項目を読んでみて下さい。
  ですから、先の打算ではなくて、
自分の現在の興味・好奇心として純粋に興味の持てそうなテーマの研究をやっていそうな研究室を選択するのがいいと思います。  

 研究を続けたらどうなる?:
  それは一言ではいえないものです。熱心に研究すれば皆さんの人生の大きな一つの経験に なるはずです。  

 本研究室の学生さんたちの歩み:
  就職先はいろいろな分野に及んでいます。また、熱心によく研究した学生さんは立派な卒論・修士論文を書いています。  

  私の研究:
  私もMDシミュレーションというコンピューター・シミュレーションの手法を使った研究をしているのですが、古典力学的なMDではなくて、古典的ふるまいから逸脱して量子力学的なふるまいをする分子運動(分子が軽く、温度が低い場合にはそうなる)を計算するための新しい方法、「量子統計力学的ダイナミクス・シミュレーション(例えば、径路積分セントロイドMD)」に関する、あるいはそれを用いた研究を行っています。これは、低温の液体・固体・クラスターなどの量子系のダイナミクスを計算する研究です。これは量子多体系ダイナミクスの探求は現在の化学の最も重要なテマの一つです。
 卒業研究生にこのテーマを設定することはありません(卒業研究は上で述べたように、古典力学に基づいたMDシミュレーションを行う)。もしこういうトピックスに興味があって研究を始めたいならば、大学院に行って研究と勉強(「径路積分法」という理論やその応用としての量子シミュレーションの方法、など)を続ける必要があります。

  卒業研究をすることの基本的な意味は何か:
  “このような研究は実際の何の役に立つのか?”という質問はいろいろな方からよく受けるところです。例えば、新物質の開発は産業の大きなテーマですが、素材・材料の開発現場では絨毯爆撃的に実験条件をいろいろ変え、試行錯誤で物質創製を行うことが多いわけです。私たちの研究しているシミュレーションは、このような経験や勘でなされてきた仕事を、できるだけ第一原理に従って見通しよく行う助けになります。また、実験ではわからない(実験は実験手段が検出できる情報しかわからない。すなわち、体系の完全な情報を得ることができるわけではない)物性を予言することもできます。実際、私が98年に計算した液体水素の中の分子の集団運動は、その1年後に欧州で大々的に行われた中性子実験の予言になっていました。これに限らず、MDや電子軌道などの理論計算は、もはや実験室のコンピューターを使って日常的に行われる時代になっています。錬金術の時代(理屈のない試行錯誤の時代)から次第に化学が“物理学化”してきた(原理を持つ科学になってきた)歴史をかえりみれば、このような趨勢が科学の発展の必然であることがわかります。
 しかし、私は先ほどの質問に対しては、“今すぐ役に立つことを研究することが科学ではない”と答えたく思います。レベルの高い科学研究、基礎研究は実用から超越している部分があります。例えば、その昔、ガリレイがピサの斜塔から玉を落としたような実験が当時何の役に立ったでしょうか?(何を子供のようなことをしているのか?とピサの人たちは笑ったかもしれません。)しかしそのおかげで力学原理が発見されて、数百年後に生きるわれわれはその成果としての物質文明を楽しんでいます(古典力学の原理が発見されなければ、当然今のような近代文明は興っていない)。科学は本質的に人間の好奇心が動機となって研究されるもので、“役に立たないものは認めない”という考えのは、人類が何千年来、営々と築いてきた知的資産である「文明」自体に対する重大な挑戦にほかなりません。かつて同様の批判をされたベンジャミン・フランクリンが、
「生まれたばかりの赤ん坊に何ができますか?」と反論した逸話を思い出します。私たち基礎科学者は生まれたばかりの赤ん坊とそれを育てる努力を尊重する立場を貫きたいと思います。使い物になるまでは冷淡に無視し、使い物になった時点で“やっぱりやってみましょうか”という態度は、教養を身につけた人間のとるところではありません。
  大学というところで科学を専攻している、あるいはこれから研究室に入って専門を極めようとする私たちはこれらの「インテリジェンス」――それは決して“もの”の形としては見えない―――を尊重する立場に立たなければなりません。あえて言えば、現在の日本のような産業・社会構造の進化した状況で賢くハッピーに生きてゆくためには、インテリジェンスはよい武器であるはずです。さらにまた、「生まれたばかりの赤ん坊」を何とか育て上げようとする崇高な努力こそが、私たち科学者の毎日の仕事です。一人前に仕上がったもの(すなわち、巷に氾濫する科学技術の成果)を利用することは「科学をする」ことではなく、単なる「消費生活」に過ぎません。「科学する」ということは、その基礎となる原理・現象を見つけることにほかなりません。それは時には、その成果を貪る華美な消費生活とは対照的な、地味な、あるいは孤独な作業です。私たち科学者は、そのような創造的作業に参画することに喜びを感じているのです。
 若く感性の鋭い諸君には、こういう状況を機敏に感じとって、現在の文明社会で生き抜いていくためのインテリジェンスを在学中に蓄積して欲しいものです。また、これから研究室で学ぶ諸君には、目前で新しい学問が生まれる瞬間を私と共有し、上で述べたことの真の意味を実感して欲しいと思います。そのような研究生活の積み重ねの結果、社会で自立した人間としてインテリジェントに生きていくための将来の鍵を、私の研究室で得られんことを願っています。